言葉には力がある。昔からペンは剣よりも強しということわざがあるように、文字にも言葉にも力があると思う。
今日は言葉の力による呪いの記事から最近考えていることをまとめてみた。
子育て中に受ける「かわいそう」の言葉
私も母親の一人である。
そのため、記事にあるようないろいろな「かわいそう」を投げかけられることもあった。(今も)
最も忘れられない「かわいそう」は、母乳が出なかった私に子育て広場の職員が投げた「頑張らないと赤ちゃんがかわいそう」と言われたことだ。恨みはいまだに忘れてない。
散々悩んでも、良いとされることをしても、病院に通っても母乳を出すことができなかった私は子育て広場にいくことをやめた。幸い性格的に内に籠るタイプでもないので、別のところをさっさと見つけたが、あの一言が母親を一人孤独に陥れる可能性があったということをあの職員にはわかってほしいといまだに思っている。
コロナ禍で投げかけられる「かわいそう」
昨年から続くコロナ禍。
子どもたちも容赦なく「かわいそう」が投げかけられる。
「運動会ができなくてかわいそう」「オリンピックはあるのにかわいそう」「どこにも行けない夏休みでかわいそう」
果たして本当にそうなのだろうか。
確かに運動会をできないことは残念なことかもしれない。しかし、学校は代わりに短縮形式でその学年の保護者だけを入れた公開授業を行ったり、プロカメラマンの写真撮影の機会を用意してくれた。
子どもたちはやる気を出したし、何よりも困難な時代になんとか子どもたちのために力を尽くそうとする教師の姿に「先生たちが頑張ってくれた」という気持ちを受け取っていた。
このことはとても大きな経験になると思う。
困難な状況においても「かわいそう」と呪いの一言で済ます他人よりも、どうにかして片鱗でも楽しみを作ってあげようとする大人の姿勢は必ず子どもたちの根底を作っていくようになるはずだ。
それでも言葉の力を信じている
言葉による呪いはある。
そしてそれに囚われてしまうことはバカバカしいと思いながらも、未熟な人間故にある。
だが、そんな時にも救ってくれるのはやっぱり言葉だったりもする。
冒頭の私が母乳の問題でクヨクヨしていた時にもやっぱり言葉が救ってくれた。
見ず知らずのお婆さんにかけられた言葉があった。
「あなたの子はたくさん笑うわね。この子の周りには笑顔が多いのね」
全てから解放されたように、とても嬉しかった。
言葉は何気なく口から出てしまう。私もきっと人を傷つけていると思う。
だが、言葉が人に力を与えてくれることはたくさんある。
世の中にもたくさんの格言があるように、言葉は力にもできる。だからこそ、呪いの言葉をやめて、力を与える言葉をたくさん使いたいと思う。
最後にとても好きな言葉を書こう。
考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる
マーガレット・サッチャー