東京オリンピックが教えてくれること

日常話

当初2020年に予定された東京オリンピックが延期されて1年。
2021年の開催の是非は未だ議論されることもありますが、ほぼ開催になりそうな勢いですね。

私の持っている2種の観戦チケットは再抽選になりそうですが、果たして無事観戦できるのでしょうか…?

今回はセールスコピーライターではなく、一個人として東京オリンピックを通じて日頃思っていることについてダラダラと書いてみようかなと思います。

日本開催が決まった時

「お・も・て・な・し」のフレーズが印象深い東京オリンピック招致委員会のプレゼン。懐かしいですね。
東京でオリンピックが決まった時、賛否はあるものの、ほぼ日本はお祝いモード一色でした。

2020年までのロードマップが即座に発表され、これからしばらくは特需に湧くと思われた日本。
それはたとえ期限付きのバブルであっても、私にとっては希望にも思えました。

ロスジェネ世代と言われ、バブル崩壊後に社会に出た私はバブルを知りません。
小さな好景気はちょくちょくありましたが、いつも不安定で先行きの見えない景気に希望を持つことはあまりない世代。

バブルを謳歌した先輩から聞いた忘れられない一言があります。

あの頃は昨日より明日が悪くなるなんて考えたことがなかった。

10年後のお給料が下がっているなんて微塵も思ったことがない

これは決して楽観主義の何も考えていない人の発言ではなく、むしろエリートと呼ばれる経歴を持ち、技術者として世界で活躍する人が放った言葉です。

明日はどうなるかわからない、バブルの恩恵を受けたこともない私。
中高校生の頃バブルが崩壊し、同級生たちの親は失業していき、必然的に進路が限られた友人たちをみていた私には無根拠のその楽観視が信じられませんでした。

正直、素直にとても羨ましかったです。
たとえその後地獄のような苦しみを味わうことになったとしても、何もかもが前向きで明るい未来を感じられる日々を人生の中で過ごしてみたかったなと強烈な憧れを感じました。

そして降って沸いた東京オリンピックの開催。
たとえ数年の期限付きであったとしても、この先2020年までは世の中が前向きで全員が何をやってもうまくいく時代を少しだけ感じられるのではないかとウキウキした気持ちになりました。

しかし訪れたのはコロナショック

2020年1月、日本にもコロナウィルスの報道が始まり、全世界が混沌の中に包まれました。
それはワクチンが開発された今日現在もあまり変化しているとは思えません。

バブルの崩壊もこれと同じだったのでしょうか。

盛り上がる人々が「あるもの」として疑わなかったものが、突如考えもしなかったことで「なかったもの」にされようとしていく、それはある種似たようなものだなと思ったりもします。

2020年まではまでは見ることができると信じていた夢は、残念ながら少し早めに冷めなければなりませんでした。突然、そして不本意に。

そして、東京オリンピック自体は2021年に延期されました。
私が思っていた2020年までの前向きな社会は何事もない自粛という静かな時の中でひっそりと終わったのです。

オリンピックが今年開催されようとされまいと、おそらく人々が何も考えずに盛り上がることはないし、オリンピックを頂点とした景気云々もないでしょう。

だからこそ、できることはあるはず

何も悲観しているわけではないのです。
2020年で一旦盛り上がりは終わると思っていたので。

実際、インバウンドは増え、2021年以降はわからないなりに盛り上がっていく人々の歓喜を見ることができたことはとても楽しかったです。
私が人生に1度は味わってみたかった空気を味わえたことはとても貴重な体験だったと思います。

そして、これからが私たちのできることをする時です。
勝手にロスジェネと名付けられ、失われた世代にされていますが、別に私たちだって失ってばかりでもなくそれなりに生きてきました。

不透明な中で蔑ろにされても、楽しいことはあったし、地に足をつけてそれなりの年齢になりました。不透明の中で生きることにはすっかり慣れっこです。

だからこそ、これからの混沌とした時代をまた新しい世界に向けて、悲観することなく進んでいくつもりです。だって、それが当たり前だったから。

いろんな悲観する報道や無駄な煽りが多い社会ですが、どんな時代にも陰陽があるように、しなやかにそれを受け入れていきたいなと思う今日この頃です。

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